初代北斗の拳が本当に嫌いだった。そのせいでスロットが嫌いだった

思い出
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一番最初の記事で僕の初打ちはドキドキ島だったことはお話しました。

 

ドキドキ島でおいしい思いをし、後日すぐにドキドキ島でほぼ全てをなくした。

その数日後には大阪一人旅の予定を立てていたというのに。

 

1か月ほど滞在しようと計画をしていた長期の大阪一人旅は、文無し旅行になったという悲しい結末が待っていました。
※大阪では日雇いのバイトをして、グルグル回る環状線で眠っていた

 

痛い目を見たからというわけではないのですが、もともとドキドキ島の時も兄に連れられて行っていたもので、大阪から帰ってきたあとも自分からスロットを打ちに行こうという気持ちは特にありませんでした。

 

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初代北斗の拳のクレオフイベントで・・・

この頃の僕はカラオケ屋のバイトをして生活をしていました。

給料は月15万~20万位でしょうか。

当然贅沢な暮らしなんてできるはずもない状況でしたね。

 

そしてまた兄です。

 

 

「北斗の拳でクレオフしたら56確定のイベントがやっているから一緒に打ちに行こう」と。

 

この頃はまさに北斗一強時代。

一島?二島?いえいえ、フロア全台が、ホール全台が北斗の拳なんて当たり前の時代でした。

そしてまさに向かった店は地下一回のフロア全てが北斗の拳というお店。

 

クレオフも今でこそ聞くことは少ない(イベント禁止だから当たり前)ですが、昔はよくやっていたイベントですね。

クレオフ自体は台に備え付けられてる機能で、初回ボーナスを引いた際にクレジットが全て払い出されて、遊戯が続行できない状態になるというもの。

この機能を利用して、クレオフした台は高設定ですよという形で告知していたんです。

 

正直、僕自身はクレオフイベントってこの一回きりしか参加したことがないです。

自分で好きで打つようになったのは5号機が出ている頃でしたので。

 

でも、想像するとめっちゃ楽しそうですよね。

とにかくボーナスを早く引く!

ボーナスを引いたらボーナスを消化する間もドキドキ。

ボーナス終了と同時に50枚のクレジットがじゃらじゃらと全て吐き出されてくる瞬間は筆舌に尽くしがたいものだったのではないでしょうか。

 

ただ、この頃は僕はそういった熱さもわからず、ただただ連れられるがままに打ちに行ったわけです。

 

設定56とか言われても、その凄さを全然わかっていませんでした。

 

そして兄と一緒にお店に入り、少し離れた場所の台でお互い稼働を開始しました。

満席で席が取れない、といった状況ではなかった気がしますが、どうなんでしょう。それは兄の指定した台だったのかとかその辺は忘れてしまいました。

 

打ち始める北斗の拳。アタ!アタ!デーデン・・・

まだまだスロット初心者、おそらくスロットのスの字も知らない状態です。

千円、千円が気が狂いそうなほど辛い!

財布には3万円ほど入っていましたが、生活費を抜いた全てのお金だったような気がします。

千円があっと言う間に消えていく、吸い込まれて行く、この苦行はなに・・・?

 

 

しかし神様は僕を見捨てなかったのです、初当たりは比較的早い段階で訪れました。

 

そして見事にクレオフ。

 

56確定の瞬間です。

 

もし今の状態で初代北斗の拳の56が確定なんて言われたら涎垂もの、あほみたいにワクワクして打つでしょうけど、その頃はなにもわからない僕。

 

喜ぶのは兄だけで、「やったな!絶対に出るから打ち続けた方がいいぞ」と何度も声をかけてくれたものです。

 

そう、何度も。

 

余り覚えていませんが、何度か初当たりはあったのかもしれません。

大した連荘もしなかったのでしょう。

 

そして1000はまりしてバイトの時間になったので退散しました。

 

虎の子の3万円は姿を消したのです。

 

神様なんていなかったのです。

 

 

「あとは任せろ」と兄に台を受け渡し、絶望の気持ちのままバイトの時間を過ごしました。

 

兄を憎んだということはありませんでした。

 

ただただ3万円という大金がなくなってしまったことがショックでなりませんでした。

 

絶望。まさに絶望です。ちょっと泣いていたかもしれません。

 

そしてバイトも終わりかけの時間に一通の連絡が届きました。

 

「あの後お前の台で3000枚くらい出したよ!負けた分は全部あげるからな!」

 

神様(兄)は身近にいたのです。

 

 

この一件があってからスロットが大嫌いになりました。

 

もう二度とやりたくないとすら思っていました。

実際に全くスロットなんて打ちませんでした。

 

その後、紆余曲折有り、スロットを本格的に打ち始めた頃、時代は5号機初めての台のエヴァンゲリオンが出たころになります。

この頃にはスロットの中身を知れば知るほど面白くなり、立ち回れば勝つことの出来るという相乗効果で大のスロット好きに変貌していました。

 

台数が減ったとは言え、まだまだ市場には初代北斗の拳はそれなりの台数がおいてあり、人気もありました。

 

が、僕はそうそう北斗の拳を打つことはありませんでした。

 

あの頃のトラウマもあるのかもしれません。

もちろん本格的にスロットを打ち始めるようになり北斗の拳も数回は打ちました。

だけどとにかく出ない。出せない。

当たらない、連荘しない、北斗揃いもなんのその、5連ですら珍しいほど。

 

一度設定6を打ちましたけど、朝から夕方まで打って6000円勝ちでした。

判別しながら打って、これ6だよな…と思いながら打つも伸びず、なんとか浮いた所で辞めた次の瞬間に6確の札が刺される→後任者すぐ出す

 

6を捨てた悔しさは全然なかったです。やっぱりなぁって。

 

初代のこれらの思い出があるからかわかりませんが、未だに北斗シリーズはの継続系は苦手意識がどうしても取れないんですよね。システムの違う神拳勝負の方が断然好きです。

 

確率を超越した、相性のいい機種悪い機種って絶対にありますよね。

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