スロットと親父の思い出

思い出
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うちの両親は僕が3歳の頃に離婚をして、それからずっと母子家庭として母親と兄弟3人で過ごしてきました。

 

まあ聞いた話でしかありませんが、その頃の親父はかなり荒れていたようで離婚されても仕方なかったのではないかと思います。

 

昔では到底わかりませんでしたが、女手一つで子供三人を育てるということがどれほど大変だったことか…本当に立派なお母さんだと思います。

 

そんな環境だったこともあり、親父との思い出というものが僕にはほぼありません。

小中学生の頃に2~3年に一度の頻度で焼肉を食べに行ったことが数回あったかな?くらいしか思い出せず、またその時も特に何かを話したとかそういうものもないんですよね。

 

ただ一つだけ、もう大人になってからのことなので明確に覚えているものがあって、それが唯一の親父との思い出と言えるんじゃないかなって思います。

 

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スロットと親父の思い出

 

その親父との唯一の思い出が、4号機後期の人気機種押忍番長を一緒に打った思い出だったりします。

 

 

僕が20歳前後の頃、季節はいつだったか、寒くはなかったかと思いますが長野に帰省している時でした。

 

その時にどんな流れでそうなったのかは全く覚えていませんが、僕と兄と親父の3人で会うことになりました。

次男である兄は比較的親父と関わりを持っていたので、その繋がりでお昼ご飯でも一緒に食べようかみたいな形で会うことになったのだと思います。

 

物心がついてから数回程度しか会っていないので親父というよりは正直他人に近いんですよね。

お昼ご飯を一緒に食べている時なんかも会話を沢山するとかそういうことがないんです。

他人っていう言い方は関係性を突っぱねるような意味合いではなくて、単純に何を話していいかわからないというかそんな感じです。

 

というよりも、何を話したとか、楽しくランチしたとか全く覚えていないので、恐らくそういうことなんでしょう。

 

そしてそのお昼ご飯が終わった後に時間があったので近くのホールに行くことになりました。

 

親父もギャンブルが好き、兄もギャンブルが好き、僕もギャンブルが好き。

 

この辺はきっと血筋ですね。

 

当時は大量獲得機などの撤去が進み、看板機種として人気を博していたのが押忍番長でした。

入店したホールも一番多く導入しており、僕も兄も親父も当然押忍番長を打ち始めたんです。

 

人が多かったからなのか、ゲーム数やモードを考慮したからなのかは忘れましたが、3人とも並んで打たずにばらばらに打ち始めました。

今思うとせっかくなら並んで打てばいいのにと思いますが、この辺のシビアな所がなんだか面白いですね。

 

そして打ち始める押忍番長。

 

ふらっと打って簡単にボーナスが当たれば苦労はしません…。

ひたすら通常時を打っていると、親父から声をかけられました。

 

 

「ボーナス当たったから打つかい?」

 

 

と。

 

ご存知の方も多いと思いますが、押忍番長は1G連のボーナスが一番の出玉の肝となっている機種であり、ボーナス中に7揃いで1G連を獲得できるか否かを決めるボーナス消化中が一番熱く楽しいところです。

 

どこか他人行儀のある距離感なので、かなり遠慮がちに「え?いいの?」という気持ちでしたが、いいよいいよと言うので打たせて貰いました。

 

選んだ演出は確か番長BIGだったと思います。

 

 

そして親父が打たせてくれたこのBIGがなんと・・・!!

 

・・・

 

・・・・・・

 

1G連を獲得することもなく、それどころかなんの熱い場面もなく普通に終了しました。

 

「駄目だった。ごめん」

「いいよいいよ」

 

こんな会話があったかどうかも定かではありませんが、親父はにこやかに笑っていたような気がします。

 

思い出はこれだけ。

恐らく長居はせずに短時間ですぐに帰ったはずです。

 

 

それから何年か経った頃、僕は都内でマイホの年一イベントを目前に、よく連れ打ちしていた友達と開店待ちをしていた時のことです。

 

二日後がマイホの年一イベントの日だったため、来るその日には何を打とうかなんて話を友達としていました。

 

すると携帯電話が鳴り、それは長男の兄からの連絡で、

「親父の入院先から連絡がきた。あまりよくない状態らしいんだが入院先の新潟までこれるか?」

という内容でした。

 

親父が体調を崩していることも、入院していることも聞かされていなかったので少しびっくりしましたが、友達に事情を話して別れを告げ、そのまま指定された新潟の場所まで向かいました。

 

そんなによくない状態なのかな?

なんて、向かっている時はやんわり考えていましたね。

 

途中で長男と次男と合流して兄弟3人で病院に着いた時、すでに親父は亡くなっていました。

 

どこか他人行儀なんて思っていたはずなのに、親父が死んでしまっているのを見たら不思議と涙がこぼれました。

 

そんな自分自身の感情に、やっぱり親父はなんだかんだ言っても自分の親父なんだな。なんて思ったものです。

 

 

そして通夜で思い出すのは親父と行ったスロットの思い出。

番長のBIGを打たせて貰えた思い出。

 

その時に考えると、「親父から貰えた」ってことがなんだか凄く嬉しくて。

 

小さい頃にもしかしたら知らない内に貰っているものとかはあったかもしれないけど、しっかりと覚えていることで、親父から貰ったものとかなかったからかもしれないです。

 

親父が唯一くれたものが番長BIG。

親父との唯一の思い出がスロット。

 

普通に考えるととんんでもないことかもしれないけど、なんだかこれはこれで僕らしくっていいかなって思います。

 

※通夜の夜、よく連れ打ちしていた友達から大丈夫か?の連絡と共に年一イベントに参加してシェイクⅡで8000枚出たとご丁寧にも報告が!シェイクⅡで8000枚オーバーって絶対楽しかっただろうなあ

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パチスロのある日常

コメント

  1. タマランチ より:

    くっ 不覚にも涙ぐんでしまった…(T_T)

    親父さんとの思い出

    大切にしたいですな(^-^)